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広島宣言(1995)

広島宣言
1995年7月23日
パグウォッシュ評議会

50年前、2発のアメリカの原子爆弾が広島と長崎という2つの日本の都市を破壊した。そこに発生した2つのキノコ雲は―その下には恐るべき惨状が現出したのだが―、史上最悪の破壊をもたらした戦争の終結を告げるものとなった。しかし、それは同時に、人類が地球規模の核戦争の危険におびえながら暮らさなければならない、新たな時代の開幕でもあった。もし地球規模の核戦争が起これば、第二次世界大戦が6年間に及ぼした以上の災厄が、6時間もかからずに出現することになるであろう。

1945年以来半世紀がたったが、この間、幸いにも全面核戦争は起こらず、核兵器のさらなる戦時使用もなく、文明は生き延びることを得た。これは、分別ある自制と管理の努力が働いた結果という面もあるかもしれない。しかし、幸運にめぐまれなければ核戦争が起こっていたことも確実である。

この50年間で、核兵器を保有していることを内外に公にした諸国の数は1から5に増えた。公にしないまま保有している国の数は、0から3ないしそれ以上に増加した。そして地球という惑星に存在する核弾頭の総数は、現在は漸減し始めているものの、最大時には7万にも達した。

この間、あからさまな核使用の威嚇が幾度となく繰り返された。暗黙の威嚇は絶えず続けられ、核兵器の使用が真剣に検討されたことも、後世の人が理解に苦しむほどの回数に上っている。核戦争の淵まで突き進みながら最後の瞬間にかろうじて抑制が働き回避されたことも、一度ならずあった。このような歴史を綿密に見直すならば、世界に核兵器がありながら今後も引き続き使われずにすむなどという楽観は、ほとんど根拠がないことが明らかになるであろう。

これとは逆に、核兵器自体を解体し、その不保有を誓約し、製造を禁じ、何者かが禁止の網をかいくぐって核物質を手に入れようとしてもそれができないような仕組みを創り出さない限り、核戦争の危険のない真の安全はありえない。真の安全の実現には、さらにそれ以上のことが必要である。なぜならば、核兵器の製造法に関する知識は、人類の記憶から消し去ることができない上、戦時下の極限状況のもとでは、いったん核不保有を誓約していた国々も、新たな核兵器開発競争に踏みきりかねないからである。したがって、諸国間の紛争解決のために戦争という手段が用いられること自体を根絶しなければならない。

こうした考えは、夢物語のように聞こえるかもしれない。しかしその実現に背を向けるならば、次のような結果の到来を甘受しなければならない。すなわち、いつの日にか地球上のどこかで、50年前広島と長崎の街を消し去ったのと同じようなキノコ雲の下で夥しい数の人びとが消滅する事態が、またしても起こり得る、いやそれは確実に訪れるであろう。それが大規模な核戦争であれば、ほとんど反射的に幾百、幾千ものキノコ雲が立ち上ることになろう。また交戦国や、内戦の当事者や、テロリストが、散発的に核攻撃を行なうならば、一個あるいは数個のキノコ雲が見られることになるだろう。

キノコ雲の発生は、それがどこであれ、いつであれ、幾つであれ、とうてい容認できることではなく、絶対に阻止しなければならないと、われわれは考える。そしてそれを阻止するためには、核兵器を禁止し、最終的に、地上から戦争それ自体をなくさなければならないのである。

今日、冷戦は終結し、冷戦下で蓄えられた膨大な数の核兵器の本格的な削減が始まっている。今やわれわれの前には、これまでになかったような機会が出現している。この機会を生かすならば、世界は核兵器と戦争の廃絶という目的の達成に向かって決定的な前進を遂げることができるであろう。われわれはこの機会を掴み取らなくてはならない。さもなくば、この機会は失われ、ついには文明も失われかねないのである。

広島、長崎両都市が核によって破壊されてから50年を経た今日、パグウォッシュ評議会は、1955年のラッセル=アインシュタイン宣言―この宣言こそはパグウォッシュ運動を生み出したものである―が掲げた目標、すなわち核兵器と戦争の廃絶という目標を実現するために全力を尽くすことを、あらためて宣言する。人類一人一人に対して、われわれとともに、この目標にむけて歩みだすよう、よびかけるものである。

<湯川・朝永宣言 広島宣言(2005)>
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