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S君の夜番日誌

そろそろ5時。今日はセンターの夜の当番の日だ。計算の途中だが、遅刻す ると5時まで勤務のH崎さんの怖い顔を拝むことになる。続きはセンターからでも できるし、早めに仕事に行くとしよう。

研究室からセンターまでは歩いて3分。ここからセンターの端末が確認でき る。書きかけの論文を片手にセンターに行くと、100台近くある端末が全て埋 まっている。授業中でもないのに、なんやこれは?

事務室に入ると、H崎さんが帰り支度をされていた。

「今日はすごい人ですね。」

「ええ、みんなメールを書いているみたいなんです。」

そうか、レポートの提出締め切りが近いんだ。情報活用演習のレポートをメー ルで提出するのが課題であり、その期限がせまっているわけである。端末室をの ぞくと、端末にありつけない、あぶれた学生で立ち見状態になっている。今日の 仕事は忙しくなりそうだ。

私の仕事はこのセンターの夜の管理。9時までセンターは開いているが、5 時以降は職員がいない。その代わりに、私のような大学院生のアルバイトが閉館 までのセンターの管理をするわけだ。

管理といっても事務室でただ座っているだけではない。学生への対応や、閉 館時の施錠等の事務的な業務のほかに、調子の悪いコンピューターの世話もしな ければならない。だから、計算機に関する技術的な知識もそれなりに必要である。 私は物理の数値計算をしているので、少しぐらいの計算機の知識は持っている。 それに、こういうところでアルバイトができるのは自分の研究上、何かと好都合 である。時給を考えると割にあわないと思うときもあるが、ま、それはいいだろ う。コンビニよりはいくらかましだ。

さてと、計算の続きを始めよう。学会も間近にせまってきたし、早く結果を 出さなければならない。研究室のワークステーションに接続して計算再開。ディ スプレイ上にXを張り付ければ研究室での環境と全く同じである。これはセンター の端末に「NEXTSTEP」というOSを使っているからで、UNIXしか扱えない私にとっ ては非常にありがたい。

何を隠そう、この仕事に就くまで「NEXTSTEP」なんて聞いたこともなかった。 「NEXTSTEP」の講習会に行くと、「純粋におぶじぇくと指向を目指した、プログ ラミング環境であり.....」。私には単語の意味さえわからない。Macの親玉のな んとかジョブズが開発した画期的なOSだそうだ。

後に、このOSがUNIXの親戚みたいなものであることを知り、胸をなで下ろし た。UNIXならいつも使っているのでユーザーレベル位のことなら知っている。実 際、コマンドはUNIXと同じだし、Xも動く。これはUNIXそのものと違うんか?と 思うが、助手のN登さんによれば「ちょっと違う」らしい。なにが違うんだ?ま あいいや。

アルバイトの仕事を忘れて、数値計算に没頭していると学生が相談に来た。

「あのう......」

「どないしたん?」

「動かないんです.....」

この手の相談が一番多い。端末の前に来て、ディスプレイを見ると、ポイン ターの円盤が回りっぱなしである。これはプロセスが終了しないということで、 そのプロセスを強制的に終了させれば、ほとんどの場合問題は解決する。よかっ た。これくらいなら軽傷だ。

重傷になると、マウス、キーには反応しない、リモートコントロールしたく ても接続できない、という状態に陥る。こうなると電源を落として立ち上げ直す しか方法がない。ハードディスクの接続ランプがついた状態で電源を落とす羽目 になったこともある。

最も怖いのは、学生がいきなり電源をおとすことで、運が悪ければハードディ スクを物理的に壊すことになる。おかげでセンターの端末約100台の内10台 近くが故障中という時もあった。

事務室に戻り、先ほど実行した計算の進展具合をながめる。今やっている計 算自体はG研究所のスーパーコンピュータSXー4がやっているので非常に速い。 ただし利用者も多くて、思った時間に計算できないこともある。学会直前になる と混みまくっていて大渋滞だ。

N社製のSXー4はアメリカでダンピングに引っかかった機種である。なん でもアメリカのC社が圧力をかけて、N社がアメリカでこの機種を販売できなく したらしい。せこい話だ。堂々と価格競争もできないとは、アメリカの保護主義 もここまで来たのか。日本ですら酒税法を改正して市場開放してるではないか。 おかげでブラックニッカが千円になった。あっ、これは日本のウィスキーか.....

それにしても今日のセンターは大入りである。今、会計検査院の連中が来た らさぞかし喜ぶだろう。センターの建物ができるかもしれない。だが、利用する 学生の数に比例して相談、質問、コンピューターの故障も多くなる。私にとって はあまりうれしくない。特に今日はレポート提出前で、質問が非常に多い。一人 の対応をしているうちに、次の質問者が事務室をのぞきこんでいる。もう自分の 計算どころではなくなってきた。

大抵の質問、相談にはできるだけの対応を心がけているが、自分のパスワー ドを忘れて聞きにくる場合は別である。パスワードは自分で管理するものであり、 人に教えたり、教えられるものではない。 私に聞かれても知らないし、知るす べもない。この手の質問には「知りません。コンピューター管理者に聞いて下さ い。」でおしまいである。ただし、授業中はすぐに教えてもらえる。これはログ インできないと授業にならないからであり、非常手段的な対応であって、そのへ んを勘違いしている人がいる。講義をしている先生のなかにはパスワードの管理 について言及しない人もいて、こちらは大変迷惑である。

対応に追われるうちに、8時になった。外を見るともう真っ暗だ。5時頃の 混雑ぶりに比べれば、いくらか空いてきたが、レポートを書いて頑張っている人 がまだまだ大勢いる。なかにはWWWでエッチなサイトを見ている連中もいる。 会計検査院が泣くぞ。

事務室でコーヒーを飲み一息ついていると、プログラムに関する質問が来た。 どれどれ、とディスプレイを見ると、数式のなかに見慣れない言語がある。

「これ、何で書いたん?」

逆に、まぬけな問いをすると、パスカルで書いたと言う。げげっ。俺はフォー トラン言語しか知らんちゅうねん。

「ふーん... C言語に似てるねー。」

と、わけのわからないことをのたまいつつ、その人が持っていたパスカルの 教科書をカンニングしながらではあるが、何とかコンパイルまでこぎつけた。ど うやら変数の定義が間違っていたらしい。パスカルを知っていればすぐに答えら れるだろうに、かなりの時間を費やしてしまった。

だいたい、フォートランしか知らないと言うのも視野が狭いのかもしれない。 コンピュータ犯罪追跡の著作で有名な天文学者は、フォートラン言語のことを古 典ラテン語に例えていた。すると俺は時代遅れの爺さんみたいなものだろうか。 でも、物理関連の数値計算はほとんどフォートランで書かれている。現にスパコ ンの場合、フォートラン以外の言語だとベクトル化、並列化による高速化は難し い。数値計算の分野ではフォートランはまだまだ現役である。私はアプリケーショ ンを開発するわけでもないし、わざわざ他の言語を習得する必要もないだろう。 フォートランだけで事足りる。なんだか益々、がんこ爺さんみたいだ。

9時になった。閉館の時間である。いつもは数人しか残っていないが、今日 はレポートの課題で帰るに帰れない人が結構いる。

かわいそうだけれど、時間は時間だし、帰ってもらうしかない。 書きかけのレポートをセーブすることと、明日は土曜日だが、レポート提出のた めに特別に開館することをアナウンスして、全員帰ってもらう。

さてと、残りの仕事はコンピュータ以外の電源を落とし、センターの鍵をか けて帰るだけ。今日は疲れた。そのまま自宅に帰ろう。いやまて、何かするべき ことを忘れている。そうだ、数値計算の途中だった。質問に追われるあまり、すっ かり忘れていた。書きかけの論文なんて、持っていったのに見てもない。とほほ、 研究室に戻るか。

(せんぱち記)

(S君は月曜と金曜の夜番を担当してもらっています。センターに来たら激励してあげてください)


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