広島大学における基礎情報教育について

この文章は2001年2月26日に広島大学において開催された「マルチ メディア時代の新しい教育研究会」で報告した 「広島大学の基礎情報教育環境の紹介」 を元に加筆修正したものです。

1. はじめに−基礎情報教育の目指すこと

教養的教育の一環として行われる情報科目では、一般の大学生にとって必要な情報リテラシー能力をつけることを最低限の目標としています。ここでいう情報リテラシー能力とは、コンピュータを使ってコミュニケーションができる能力、情報の収集・管理ができる能力、レポートを作成できる能力の三つを考えています。

コミュニケーションの道具として主に用いられるのは電子メールです。現代の学生は、電子メールを知識としてだけでなく日常生活の一部として受け入れており、使い方そのものについてはほとんど説明の必要すらありません。しかし、コミュニケーションの際に常識的とさえ思われるマナーが身に付いていないように思える場合が多く見受けられます。また、メーリングリストなどの、コンピュータネットワークに特有な形態のコミュニケーション手段の可能性と問題点も理解してほしいところです。

WWW などを通して、ネットワーク上の情報を収集する能力は、高度に情報化された現代では当然必要なものとなっています。情報の品質なども勘案しつつ、図書館などの既存のデータベースと併用して、必要なものを集め整理する能力を身につけることが期待されます。

得られた情報を整理し自分なりの処理を施して、レポートを作成したり、ネットワーク上に情報を発信する能力も、身につけるべきものと考えられます。処理する情報の種類によって必要な技術はそれぞれ異なってきますが、基礎的な情報教育としては、一般的な文書作成、図形作成程度の技術までを習得すれば十分ではないでしょうか。また、ネットワーク上に情報を発信する場合に上がってくる知的所有権の問題やプライバシーの問題なども基礎情報教育の範囲で意識しておくべき事柄です。

上記のような内容の情報リテラシー教育を行う場合、経験度や適性によって実習の最初の段階から学生間にかなりの進度の差が見られます。すべての学生に情報リテラシー能力を、という基礎情報教育の立場からすれば、マウスのクリックから始めざるをえませんが、実習を始める時期や学部によっては、初心者の方が少数派となる場合もあります。基礎的なことを修得している学生のために、進んだ内容をコンピュータを利用して自学できるような自習用オンライン教材の整備が望まれるところです。

情報リテラシー教育では、どうしても実習が中心となるわけですが、実習では身につきにくい事柄もあります。例えば、コンピュータやネットワークの基本的な仕組みは、より効率的な情報処理のためにも習得しておくことが望まれます。また、情報倫理教育も欠かすことはできません。広島大学では、情報通信・メディア委員会が「ネットワーク市民の手引き」という小冊子を発行し、全構成員に配布しています。 基礎情報教育の一部として、こういった資料をテキストとした教育が必要であると思われますが、未だ実施状況は満足できるものではありません。

ここでは、広島大学において実施している基礎情報教育とそれを支える計算機環境について紹介します。教養的教育の情報科目に関しては、情報メディア教育研究センターにて企画・立案を行い、実施は、総合科学部の情報科目小委員会と担当学部において行っています。実習設備については、情報メディア教育研究センターが運用を行っています。

2. 教養的教育の情報科目

広島大学では、教養的教育の一つとして情報科目を設置し、初年度にそれを履修することを全学生に要望しています。情報科目に属する講義としては、情報活用概論、情報活用基礎、情報活用演習の三つがあります。それぞれが半年で完結するもので、情報活用概論は座学のみ、情報活用基礎は座学+実習、情報活用演習は実習のみという講義形態になっています。学生が、どれを履修するべきか(履修することができるか)は、各学部の判断によって決められており、中には指定した講義を必修としている学部もあります。表 1 に、2000年度における各学部の入学者数と、指定されている講義をあげます。夜間主コースを除いて、全ての学部で情報活用基礎もしくは情報活用演習を履修することになっており、全員が実習を受けられるようになっています。

表1: 情報科目履修状況 (2000年度)

学部指定*定員 履修者数
基礎演習
141   139 139
160   160 160
教・一 186 186   186
教・二 基/演 106 53 46 99
教・三 基/演 94 74 19 93
教・四 基/演 100 69 27 96
教・五 基/演 59 32 27 59
基/演 157 76 16 92
経済 159   159 159
理・数 56   55 55
理・化 61   59 59
理・生 38   38 38
理・地 26   26 26
理・物 70   70 70
医・医 100 56   56
医・薬 65 40   40
医・保 121 105   105
55 55   55
工・一 125   125 125
工・二 基/演 151 93 57 150
工・三 基/演 129 114 12 126
工・四 基/演 145 82 61 143
生生 119 115   115
合計 2423115010962246

* 履修指定科目:基=情報活用基礎、演=情報活用演習

2.1. 情報活用基礎

情報活用基礎は、12 週の授業期間のうち、8 週を大教室での座学にあて、残り 4 週を実習にあてる形態の講義です。8 週の座学のうち、4 週は総合科学部の計算機科学の教官によってコンピュータやネットワークの基礎的な知識の講義にあてられています。残り 4 週は、様々な分野の教官が担当して、各分野におけるコンピュータの活用法、情報化が社会に与える影響などについて講義されます。このことにより、幅広い分野での情報技術の応用状況や問題点などを理解させ、さらに学習を進めてゆくためのモチベーションを与えることが期待されています。

4 週間の実習では、情報メディア教育研究センター発行の「コンピュータネットワークへの招待(get pdf 3.4MB)」をテキストとして、ログインからWWW閲覧、電子メールの送受信、テキストファイル作成、ファイル操作、ホームページ作成などの基本的な技術を学びます。

この講義は複数教官(二〜四人の講義担当教官と三人の実習担当教官)が担当して、同一時間帯に三クラスが同時に開講されています。実習担当教官に注目すれば、4 週間をひとまとまりとして、同じ実習を半期の間に三回繰り返すことになります (図 1 参照)。2000年度では、1,150 名の学生が情報活用基礎を受講しました。

Rotation

図1:情報活用基礎のローテーション

2.2. 情報活用演習

情報活用演習は、すべての時間を実習にあてます。この講義は、各学部の教官が担当し、情報活用基礎に含まれるような基礎的な実習を行った後、さらに進んだ実習が行われます。内容は、TeX による文書処理、プログラミング言語、表計算プログラムの活用など、各学部生の興味に合わせたものになっています。

2.3. 履修状況

表 1 の右側の列に、各学部の2000年度における情報活用基礎・演習の履修者数をあげています。後期に受講する一部の学部では履修率が低くなっていますが、全体で 90 % を越える学生が情報科目を履修しており、全学生に履修を要望するという目的はほぼ達成されています。

3. 情報教育の実習環境

前節で述べた情報科目の実習部分を行うため、1997 年から旧情報教育研究センターでは 94 台の NEXTSTEP コンピュータで構成される演習室を設置、運営してきました。NEXTSTEP は利用するのに使い勝手がよく、運用する立場からも管理しやすい優れた環境でした。しかし開発が停止し、サポートも打ち切られるに至り先の見えないものとなってしまっていました。旧総合情報処理センターが運用する全学向けコンピュータシステムの2000年度機種更新に伴い、基礎情報教育向けシステムも同じ環境に統一されました。

旧総合情報処理センターで仕様を策定したコミュニケーション・教育用情報処理システム (ICE) は、以下の要件を満たすように構築されています。

これらの要件を満たす実習環境として、Linux が選ばれました。

3.1. ICE Linux

現在コミュニケーション・教育用情報処理システム (ICE) で利用者環境として使われている Linux は、VineLinux をベースとして変更を加えたもので、われわれはこの環境を ICE Linux と呼んでいます。ユーザ情報は NIS+ で一元管理しており、このため、glibc を入れ替える必要がありました。テキストや利用手引きで説明している利用者用ソフトウェアは、表 2 のようになっています。

利用者のデスクトップ環境は、よく利用されるソフトウェアをアイコン表示しダブルクリックだけで起動できるようにしたり、ログアウトのためのアイコンもデスクトップに表示されるようにしたりと、できるだけ初心者にも抵抗なく使い始められるように配慮して構築しています。Linux では、プログラムの間でユーザインタフェースの統一がとれていないという欠点があるのですが、各プログラム単体でみれば使いやすく機能的にも優れたソフトウェアが多く存在しています。何よりもほとんどのプログラムでソースが公開されており不都合があった場合にも自分たちで対処しやすいという点で非常に優れています。

表2: ICE Linux の標準プログラム

Window Manager WindowMaker
File Manager gmc
Text Editor mgedit
Mail User Agent Sylpheed
Web Browser Netscape
Office Suite Applixware
Terminal kterm
Command Shell bash
3.2. 実習室

教養的教育の情報科目を行うことを主な目的として、ICE Linux 94 台を設置した教室と、60 台を設置した教室を用意しています。これらの教室は、情報メディア教育研究センターで管理しています。

この他にも、情報メディア教育研究センターで管理している実習室が三つあり、それぞれ 93 台 (東広島キャンパス・ICE Linux)、41台( 霞キャンパス・ICE Linux)、30 台 (東千田キャンパス・Windows NT) の利用者用コンピュータが設置されています。2002 年度から左記93台の実習室でも教養的教育の情報科目の実習が行われるようになりました。

3.3. 遠隔実習の試み

上記の二つの教養的教育用実習室で、映像と音声を共有し同時に二教室でコンピュータ実習を行うことができる設備を用意しています。両教室の間は数百メートルしか離れていないので、画像・音声・制御のために専用のケーブルを設置しました。 2000年度前期には、この設備を利用して情報活用基礎の実習を二教室で同時に行いました。

3.4. 障害者対応

2000年度から、全盲の学生のための設備を導入し、情報リテラシー教育カリキュラムの検討を開始しました。導入したのは、文字の読み上げソフトウェアや点字ディスプレイなどを備えた Windows パソコンです。残念ながら、他の学生が利用する ICE Linux で、これらのソフトウェアや外部装置を利用することはできませんでした。

4. 情報教育の自習環境

4.1. オープンスペース

現実的な情報処理能力を身につけるには、やはり実習を一通り受けるだけでは足りません。自分自身の問題を、コンピュータやネットワークを用いて解決する経験を積んでゆく必要があります。そういった学生のための自学自習の場として、高速なネットワークに接続されたコンピュータが自由に利用できるスペースは、とても重要なものでしょう。

3.2 で紹介した実習室は、60台設置の講義専用室を除いて、すべてオープンスペースとしても学生に開放されています。情報メディア教育研究センター本館には、40 台の ICE Linux が設置してあるオープンスペース専用の部屋があります。その部屋には、利用者が個人所有のノートパソコンを持ち込んで、ネットワークに接続することが可能な情報コンセントが用意されています。

4.2. マルチメディアフロア

4.1 で紹介したオープンスペースは、ほとんどが ICE Linux に統一されています。基礎情報教育が ICE Linux で行われており、一種類の環境に統一されていることは初学者にとっては都合のいいことです。しかし、市販のオンライン教材、CAI 教材を利用したりするためには Linux のみでは不便な場合もあります。また、様々な目的を持つ学生に対応して、いろいろな機材を十分に活用できる場を用意する事は、とても重要なことだと考えます。

2000年6月より、西図書館三階に多目的自習環境を開設しました。この約920m2のフロアを、マルチメディアフロアと呼んでいます。

MF Layout

図 3: マルチメディアフロア配置図

マルチメディアフロアには、表 3 に示すような 6 つのコーナーがあります。コーナーの配置については、図 3 を参照してください。

表 3: マルチメディアフロア

自習環境 主な設置機器
情報教育端末用オープンスペース ICE Linux 130台、レーザプリンタ
VOD端末コーナー indows98 25 台、Windows NT 20 台、レーザプリンタ
外国語自習室 Macintosh 60台、レーザプリンタ
マルチメディア自習室 Macintosh 21台、レーザカラープリンタ、イメージスキャナ、デジタルビデオカメラ、DTM、DTV編集装置、タブレッ
情報化グループ学習室 ICE Linux (ノート) 8台、データプロジェクタ、プラズマディスプレイ、AV機
隔離型外国語学習ブース Macintosh/Windows 16 台、BS CS 視聴装置、ビデオ・カセット・CD・MD

情報教育端末用オープンスペースには、授業と同じ利用環境を十分な数用意しています。時間を気にすることなく、学生がインターネットとコンピュータを用いた作業を行えるようにしています。

VOD 端末コーナーでは、二種類のストリーミングサーバに蓄積された外国語学習用映像を閲覧することができます。VOD 端末として利用しているのは Windows 98 と Windows NT ですから、オフィスソフトウェアを利用した作業をすることも可能です。

外国語自習室には、iMac 60台と、それを利用した講習会ができる設備があります。Macintosh 用に開発された多くの外国語学習用のソフトが揃えられています。

マルチメディア自習室には、コンピュータグラフィクス、音楽、ビデオ等によるマルチメディアコンテンツを作成、編集するアプリケーションと機器を揃えています。ここを活用して、優れた作品を作成する利用者が現れることを期待しています。

情報化グループ学習室は、無線LANに接続した、ノート型のLinux環境とプレゼンテーション設備により、ネットワークやコンピュータを利用したグループ学習ができるようにしています。教養ゼミ、少人数でのコンピュータを使っての議論や共同作業等に利用されています。

隔離型外国語学習ブース は 16 個の個室からなります。各個室ブースには、BS/CS/KBS/海外衛星放送 視聴装置、ビデオ/カセット/CD/MD デッキ、iMac (または Windows) が設置されています。外国語には発声しての学習が必要ですが、このブースは、それをするための設備です。

初心者でも目的に応じてそれぞれの環境を利用できるよう、マルチメディアフロアの中に、両センターのスタッフが常時待機しているブースを設け、初歩的な質問から高度な利用に関する相談に対応しています。さらに、電子メールやWWWを用いたオンラインでの質問窓口も用意し、気軽に相談できる体制を作り、誰もが利用できる環境を目指しています。

5. おわりに

基礎情報教育では、情報リテラシー能力を身につけ、情報処理の基本的な仕組み、情報化が社会にもたらす問題点などを理解することが目的となります。これらの教育を受けた上で、それを自分自身の問題解決に役立ててゆくためには、やはり実際に自分で何かをやってみるという事が重要です。大学の基礎情報教育環境として、実習用の教室を設置するだけではなく、同じくらいの比率で自習スペースを整備してゆくことが必要です。

基礎情報教育で使用される ICE Linux と同じ環境の自習用コンピュータは、かなり整備されてきました。それ以外の環境も利用可能にするために、マルチメディアフロアとして様々な環境を導入し、多くの学生に利用されています。しかし、まだ一部の学生にしか活用されていない機能もあり、それらに対しては初心者用マニュアルの整備や、講習会や説明会の開催などが今後の課題の一つとなっています。